2000年4月/池袋シアターグリーン
僕の中でMCRというものは何段階かありまして、
大まかにいうと「ガラクタ前」と「ガラクタ後」という形に分けられます。
細かい部分で言えば他にも細かい段階はあるんですが、
大きく言うとそういう形になるんですね。
で、じゃあこのガラクタは何がそんなに大きい作品かというと、
「他人に拠り所のない自分のセンス」を信じてやってみようか、
っていう、まあ、僕の中での流れなんですけど。
話し言葉、っていうか、それも自分たちが(自分が)普段喋っている
例えば「自分たちだけには伝わる面白い言い回し」とかを組み込んで、
そんなに肩肘はらずに等身大でやってみましょうかっていう、
これ何が難しいかっていうと
それを真っ向から否定されたら僕自身を否定されてしまうって事だと思うので、
これ終わった後に「つまんなかった」って言われたら芝居辞めようとか思ってました。
勿論今見れば不甲斐ない部分とか足りない部分とかたくさんあるんだけど、
その流れは今も大切にしている、
何というか現在のMCRの根源を成す作品です。
このあらすじもエキスポの03に載っているのでそちらを見てください。
今まではまあ、お話があってその為に必要なキャラが居てって感じだったんですが、
この作品からまず人がいて、
その人が動いたり喋ったりするから話が進むって言う、
そういう形になりました。
役作りとか僕はあんまりしないし、させません。
その人がその時点で何十年か生きてきて居るんだから、
それを舞台上で出せばいいとだけ思います、
それが多分、その人にしか出来ないことだと思うからです。
僕がガラクタ屋の店長、おがわがバイトっていうそれだけの関係から話が始まるんですけど、
いちいちアドリブっつうか、
その場で思い浮かんじゃった事言ったりしてました。
袖で出番を待つ他の役者が「まだかよ、なげえよ」って顔して待機してました。
このガラクタまで大橋ってのが在籍してたんですが、
そいつもまあ色々やってくれました。
今じゃどこで何をしてるのか知らないけど、
おがわとか北島とかと大橋の事を喋るときは自然に笑いが起こります、
そういう奴でした。
このちょっと前の頃から段々と「友達だったからMCRに入った」って奴がいなくなっていって、
僕はまあ、言い方は悪いけど淘汰されていったと言いますが、
ヒマだからじゃない理由でMCRに入ろうとする人間が出てきたりして、
やっぱりそういう意味でもガラクタ前とガラクタ後に分けられる、
そういう作品ですね、これは。